2007/ 07/ 30/ ( Mon)
昨晩の参院選の文脈で、僕も少しだけ、政の政治、というよりはもう少し若者の「政治の季節」について。
議論し尽くされているけれど、どうしても今回の参院選に関して言えば、というか例えば小泉劇場なんかもそうだけど、まずアジテーションが全く無かった。いやいや年金問題、内閣の失言、それを咎める、自民をとどめる意志こそが、と思われるかもしれない。たしかに団塊世代の年金問題は決して見逃すことが出来ない、それこそ安倍さんのいう戦後レジームの解体という言葉がアイロニカルに響くものだけど、さて、その年金問題も、おばかな政治家の失言も、カネも、それがこんなにも短絡的に民主の正義的風潮の躍進に回収されていいものか。何も出来ないタレント議員がフィルターとしての参議院のなかで機能するとは思えないというような、いまさらな議論はこの際措いておいて、もう少し国民は政治にコミットしていかないといけないと思う。白票でも、選挙に参加しなくても。
ぼくは二十台半ば、ロストジェネレーションのなかでも本当に最後の世代。昨年に病気をし、現在ようやく就職活動ができるようになった。これが10年前のような社会であったら、ぼくは絶望的な立場であったと思う。そして、ゼロ年代も半ばを過ぎて、現在は超売り手市場となった。50社を受けて内定がひとつもとれないことが珍しくなかった時代はベビーブーマーたちの退職とともに完全に終りを迎えた。それでもけなげに、ロスジェネは「できる」「かてる」を目指し、「せいちょう」を義務付けられ、「ゆめ」を糧/いいわけに、社会に辱められてきた。ベビーブーマー達の退職金の影で、ワーキングプアと化した、たしかな鼓動がある。
自己表現といって、おしゃれをして、格好いい音楽を聴いて、本を読んで、アートに親しんで、サブカルチャーに身をうずめる。それを社会の、政治の、消費経済の文脈であると自覚している若者はどれだけいるだろうか。サブカルチャーがもはやサブではなくなり、アンダーグランドはオーバーグラウンドとなり、少し落ち着いて周りを見渡せば、アイデンティティーも、<自分>も<個性>もくそもない。すべてが、この日本の地上に存在することだという現実を理解している若者は、どれだけいるだろうか。セカンドオーダー、すなわち「それでもぼくらは!」というスタンスで、<自分>を、<個性>をそしてなにより<感動>を追い求めなければならない時代なのだ。
自分を洗練させたい。大いに結構だと思う。僕自身も常にそういった向上心は持ち合わせていると自負しているし、そのために消費し、一方で感動したり、満足したり、あらたなニーズと消費のサイクルの中にいる。でも、そろそろ<自分><個性>だけはやめないか。だからアニヤハインドマーチのエコバックみたいな話が出てくるのではないか。
ムーヴメントを起こそうとかそういうことを言っているんじゃないし、ましてや左傾化しろというわけでもない。社会人として働いて、社会人としてビジネスマナーをおぼえて、と、決してそれが社会を知るということではない。ビジネスマナーとか、いわゆる「社会の常識」とかは、あくまで需要(人)と消費(人)の橋渡しをスムースにする技法/ツールだ。
でもバブル経済崩壊後にそれを選択しなかった/させてもらえなかった人間は思いっきり淘汰されている。それもしっかりバブルを生きた人間達に。それだけならいい。売り手市場になったら、手を返したように「ぜひ我が社に」だ。僕のPCにも毎日のように企業から直接スカウトのメールが来る。
日々汗や涙を流して、はたらいている若者とは、全く違う見解かもしれない。<自分>は<自分>だと胸を張って頑張っている友人も絶対にいるし、それは確かに間違いなく<君>は<君>で、<あなた>は<あなた>だ。加えて言わせていただくと<ぼく>は<ぼく>でもある。
もう一度言う。ムーヴメントだとか、左傾化の話ではない。
ただ、もう少しエクスキューズをしないと、それこそ僕らは年金をもらえないかもしれないし、下北沢がなくなるかもしれないし、戦争に行かないといけなくなるかもしれない、ってことを、てめーに言われるまでもねーという批判を覚悟しつつ、この場でずらずらと書かせていただき、この辺で。
議論し尽くされているけれど、どうしても今回の参院選に関して言えば、というか例えば小泉劇場なんかもそうだけど、まずアジテーションが全く無かった。いやいや年金問題、内閣の失言、それを咎める、自民をとどめる意志こそが、と思われるかもしれない。たしかに団塊世代の年金問題は決して見逃すことが出来ない、それこそ安倍さんのいう戦後レジームの解体という言葉がアイロニカルに響くものだけど、さて、その年金問題も、おばかな政治家の失言も、カネも、それがこんなにも短絡的に民主の正義的風潮の躍進に回収されていいものか。何も出来ないタレント議員がフィルターとしての参議院のなかで機能するとは思えないというような、いまさらな議論はこの際措いておいて、もう少し国民は政治にコミットしていかないといけないと思う。白票でも、選挙に参加しなくても。
ぼくは二十台半ば、ロストジェネレーションのなかでも本当に最後の世代。昨年に病気をし、現在ようやく就職活動ができるようになった。これが10年前のような社会であったら、ぼくは絶望的な立場であったと思う。そして、ゼロ年代も半ばを過ぎて、現在は超売り手市場となった。50社を受けて内定がひとつもとれないことが珍しくなかった時代はベビーブーマーたちの退職とともに完全に終りを迎えた。それでもけなげに、ロスジェネは「できる」「かてる」を目指し、「せいちょう」を義務付けられ、「ゆめ」を糧/いいわけに、社会に辱められてきた。ベビーブーマー達の退職金の影で、ワーキングプアと化した、たしかな鼓動がある。
自己表現といって、おしゃれをして、格好いい音楽を聴いて、本を読んで、アートに親しんで、サブカルチャーに身をうずめる。それを社会の、政治の、消費経済の文脈であると自覚している若者はどれだけいるだろうか。サブカルチャーがもはやサブではなくなり、アンダーグランドはオーバーグラウンドとなり、少し落ち着いて周りを見渡せば、アイデンティティーも、<自分>も<個性>もくそもない。すべてが、この日本の地上に存在することだという現実を理解している若者は、どれだけいるだろうか。セカンドオーダー、すなわち「それでもぼくらは!」というスタンスで、<自分>を、<個性>をそしてなにより<感動>を追い求めなければならない時代なのだ。
自分を洗練させたい。大いに結構だと思う。僕自身も常にそういった向上心は持ち合わせていると自負しているし、そのために消費し、一方で感動したり、満足したり、あらたなニーズと消費のサイクルの中にいる。でも、そろそろ<自分><個性>だけはやめないか。だからアニヤハインドマーチのエコバックみたいな話が出てくるのではないか。
ムーヴメントを起こそうとかそういうことを言っているんじゃないし、ましてや左傾化しろというわけでもない。社会人として働いて、社会人としてビジネスマナーをおぼえて、と、決してそれが社会を知るということではない。ビジネスマナーとか、いわゆる「社会の常識」とかは、あくまで需要(人)と消費(人)の橋渡しをスムースにする技法/ツールだ。
でもバブル経済崩壊後にそれを選択しなかった/させてもらえなかった人間は思いっきり淘汰されている。それもしっかりバブルを生きた人間達に。それだけならいい。売り手市場になったら、手を返したように「ぜひ我が社に」だ。僕のPCにも毎日のように企業から直接スカウトのメールが来る。
日々汗や涙を流して、はたらいている若者とは、全く違う見解かもしれない。<自分>は<自分>だと胸を張って頑張っている友人も絶対にいるし、それは確かに間違いなく<君>は<君>で、<あなた>は<あなた>だ。加えて言わせていただくと<ぼく>は<ぼく>でもある。
もう一度言う。ムーヴメントだとか、左傾化の話ではない。
ただ、もう少しエクスキューズをしないと、それこそ僕らは年金をもらえないかもしれないし、下北沢がなくなるかもしれないし、戦争に行かないといけなくなるかもしれない、ってことを、てめーに言われるまでもねーという批判を覚悟しつつ、この場でずらずらと書かせていただき、この辺で。
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